2009年12月12日土曜日

研究の大切さ

12月8日の天声人語に、「命の大切さ」、「戦争の悲惨さ」、「平和の大切さ」などという言葉に関する文章があった。便利なだけに手垢にまみれた中身のないことばなりつつある、というものである。
次のような一節もある。
批評家の小林秀雄が能について述べた一節を思い出す。〈美しい「花」がある、「花」の美しさという様(よう)なものはない〉。

昨今、事業仕分けで科学関連の予算が削減されて偉い先生やら学会やらが、必要性を説明せずに頭ごなしに「科学の大切さ」「教育の大切さ」を訴えていた様な気がする。

近年、研究費獲得のため「この研究の大切さ、必要性」を訴える文章を書かされることが増えてきた。しかし、大部分の人はホンネではそれらの”大切さ”は書類作成のために後から考えたものであることを否定しないだろう。

大切な研究」、「必要な研究」、そして本当は一番大切な「面白い研究」をしてその結果を見てもらうしか無いような気がする。

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