2010年11月12日金曜日

ニュートンの第1法則は必要か?その1

ニュートンの運動の3法則を学んだ学生が、きっといつか疑問に思うことがあるだろう。それは、

「第1法則(慣性の法則)は第2法則(ma=F)でF=0の場合のことなんだから、
まとめれば良いのでは?第1法則はわざわざ必要なのか?」


と言う疑問だ。このこと自身は6年ほど前に人から聞いた(確か大学教員採用面接で聞かれるとか)。
確かにどう答えれば良いのか上手い回答がすぐには思いつかなかった。

その後いろんな人にこの疑問をぶつけてヒントをもらい自分でも書物を読んだ結果、今はこの答えを得ている。
次回以降、少しずつその答えに迫る過程を記録する(予定)。

2010年4月14日水曜日

X線装置と管理区域

X線回折装置を新たに設置し関係で、先月エックス線作業主任者と言う資格を取得した。
「放射線管理区域」の設置に関する法令も勉強したのだが、通常の実験用のX線発生装置の設置の場合にどこまで管理区域に設置するのかよく分からなかった

それでネットで検索していたらその答えがあった。
http://tsuyu.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/post-8380.html

昔は設置した部屋を指定しなくてはならなかったが、装置にしっかり安全装置が付いていれば最近は部屋自身を管理区域にする必要はなくなったようです。やれやれ。

2010年2月25日木曜日

学生への「職業指導」、大学・短大に義務化へ

http://www.asahi.com/edu/news/TKY201002230502.html

だそうです。一体、何をどうしようと言うのだろうか。
最近読んだ、「教育の職業的意義―若者、学校、社会をつなぐ (ちくま新書)」からすると、大学の専門教育とは別に、
・現在の社会で働くと言うことがどのようなことか
・働く上で必要な能力
・労働者としての知識
などの素養を教える教養教育が4年間通じて必要かも知れない。

これまで基本的に(特に理系の)大学の教育は、「研究者が研究者を育てる場」
であったかもしれない。昨今、研究をしたいと思って大学に来る学生なんて、通常の大学ではわずかかもしれない。


大学関連ニュース No.191
http://archive.mag2.com/0000192380/index.html
「職業や仕事への大学側の教育や学生支援が不十分」とあるが、そもそも「大
学は何を学ぶところか」ということをもう一度検討すべきではなかろうか。当然、多くの学生は大学を卒業すれば就職するのだから、就職に対する支援はすべきであろう。しかし「大学=職業訓練校」なのだろうか。またNO.162でも述べたが「新卒就職者の3割が3年以内に離職」といったような「勤労に対する意識」の問題は「授業」で解決する問題なのだろうか。

上記のような論議をした結果、今回の義務化という運びであれば仕方がない。しかしそうでなければ、ただ単に雇用状況への対症療法として大学を利用しているような気がするのだが。

2010年1月6日水曜日

教養教育とリベラルアーツ

なぜか昨今、大学において”教養教育の充実”が叫ばれています
この15年ぐらい、教養教育を担当してきたいわゆる教養部(戦前のナンバー高校を継承)を無くしたり、”総合系学部”に(昇格)し、大学の最初の1~2年は各学部が降りてきて自分のところの学生の教育に責任を持つ、もしくは教養課程を全学的に行う、と言う流れが主流だったのにである。
なぜか。
曰く「現在の教養教育には問題がある」「責任部署が無い」「教養教育の目的の認識が共有されていない」など。
しかし、そう言うことは言っても、「教養教育の意義、目的」をはっきりと示してくれることが一度もない。昨今は、教養教育=リベラルアーツという言葉もやたら用いられる。
そこで、リベラルアーツを検索してみた。
以下のリンクの主張では、幅広い知識を持ったリーダー養成のための教育課程であるらしい。

http://www.wasedajuku.com/wasemaga/unipro-note/2009/06/post_451.html

2009年12月12日土曜日

研究の大切さ

12月8日の天声人語に、「命の大切さ」、「戦争の悲惨さ」、「平和の大切さ」などという言葉に関する文章があった。便利なだけに手垢にまみれた中身のないことばなりつつある、というものである。
次のような一節もある。
批評家の小林秀雄が能について述べた一節を思い出す。〈美しい「花」がある、「花」の美しさという様(よう)なものはない〉。

昨今、事業仕分けで科学関連の予算が削減されて偉い先生やら学会やらが、必要性を説明せずに頭ごなしに「科学の大切さ」「教育の大切さ」を訴えていた様な気がする。

近年、研究費獲得のため「この研究の大切さ、必要性」を訴える文章を書かされることが増えてきた。しかし、大部分の人はホンネではそれらの”大切さ”は書類作成のために後から考えたものであることを否定しないだろう。

大切な研究」、「必要な研究」、そして本当は一番大切な「面白い研究」をしてその結果を見てもらうしか無いような気がする。

2009年12月2日水曜日

FD講習会

Faculty Development なるものが開催されました。
現在の日本の大学は大学発祥の地ヨーロッパに比べれば5倍ぐらい多いようです。大学生も多すぎます。誰でも入れるようになった日本の大学は、社会の期待に応じて変わらなければならず、そのための講習です

しかし、例えば、調理師を養成する専門学校は調理師になりたい人を入学させるのであって、入った学生が「IT技術を学びたい」と期待しているからと言ってそれに対応することは無いでしょう。
大学も必要としている能力に達し、学ぶ意欲のある学生のみをしっかり選んで入学させれば、大学が変わる必要は無いと思うのですが。現状で、そんなことをすれば、学生が減って教職員が余って職を失うから無理なんでしょう。本質的にはその方が重要なことのように思われます。

FD講習会で聞いたこと。
  • 大学教員は権力者(単位や学位を授ける権利)であることを認識せよ。→説明責任がある。
  • 社会が大学に期待している教育研究成果は、アウトプットではなくアウトカムである。
     → 学生に何をやったかではなく、学生が何を身につけたか。
  • 大学評価は、自己評価が基本である。(部外者は細かいことを評価できない)
     → 自己評価をフィードバックして改善する(PDCA)システムが機能しているかどうかを認証機関が認証するように変えるべき。
  • アカデミック・ポートフォリオが効果的(個人レベルでの自己点検・評価)
     → 学生は自分が学んできた過程、教員の評価を全てまとめて記録として持っておく。
     → 教員も教育・研究活動記録を常に記録して自己点検する。
  • 教育プログラムの構築
    →多様性に応じたプログラム(課程)の学部を超えた連携による構築。
    →”カリキュラム”とは、国が作ったモノで、”プログラム”は大学による自主製作

2009年11月18日水曜日

ブクログ

便利なサービスを紹介。
ブクログ Booklog http://booklog.jp/home

ずいぶん前から登録していたのですが、最近リニューアルされてとても使いやすくなりました。
読んだ本にコメント付けて管理したり、読んでみたいな~、と言う本を登録しておいたり。